映画「容疑者xの献身」を見た

 原作の感想はこちら(但し、画像)

原作の小説は、少し前に読み終えてた。その時の感想が、こちら。

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Netflixにあったので、ようやく映画の方も視聴できました。

 

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リンク先は、amazonさんの方だけれど、細かいことは気にしないように。

映画を見て驚いた

予想以上に、良い作品だったので、正直驚いてしまった。原作からの映画化作品としては、満点に近い点数をつけたい。

 

「理論的/論理的に『正しい』ことに基づいた行動は、常に正しい結果を生む」と信じている人間の悲劇

おいらにとって、「容疑者xの献身」というのは、そういう物語です。

 

CMで見たり、レビューなどで指摘されている「堤真一というキャスティング」、「雪山のシーン」問題。

原作を読んだおいらが気になった「柴咲コウは必要なのか」問題。

約2時間の長さで語られる映画作品ということを考えたら、全て必要で、上手に組み込んだなぁと思います。

 

この作品は、原作と映画の両方に手を出すことをお勧めせざるを得ないですね。結果的に、互いが上手に作品のテーマをわかりやすくなるように補完しあっているように思いました。 

おいらにとって、色々と語りたくなる作品ですね。ツイキャスで語らせたら、30分くらいは話し続けることができるかも。やらないけどね :-p

 

約束の質を高める

多分、以前にも似たようなことをツイートしたり、ブログにまとめたりしたような覚えがあるんだけれど…… まぁ、気のせいか

「自殺しない」約束をする

そういった場面で、おいらが対応する時に気をつけていること。
死にたいと思う「気持ち」は認める
相手が「そう思ってしまうこと」も認める
気持ちや思いに駆られて、本当に沢山のことを「考えてしまう」ことも認める

ただし、「行動にうつす」ことだけは、「待ってもらえないか」と約束する
同時に、その約束が成立しやすいための条件を、こちらも沢山考える


約束を強くするもの

相手とのやり取りの中で、互いの関係が構築されていく。
約束(確実さ)の質を規定するのは、互いの関係の質である。

関係の質を決めるポイントの一つは、「相手を認めた」数じゃないかなぁ。

そう思うことは、少なくない。


認めるって、難しいんだよね

「認める」って、難しいんだよね。
他人の何かを認めるのは、自分の中に何かを引き受けることだから。
気がつくと、引き受けかけて、無意識に弾きとばしちゃってしまうこともあるし。

どんなことでも引き受けることができる度量が、おいらにあればいいんだけれど……

認められることができるモノとできないモノ。
ここには、互いの個性と相性が反映される。だから、絶対は無い。

 

うん、難しいし、不安だし、でも、大切。

 

自罰的なようで、実は他罰

昨日、「自罰的な内容を語っているようで、実は他罰的な思考パターン」への対応について、いくつかツイートした。

時間をかけながらダラダラとツイートしてたので、一つの記事にまとめようとしても、上手くまとまらなかった。

ということで、メモがわりに、とりあえず貼り付けた。

やれやれ。

 

今年初めての写経

新年の抱負替わりに写経を

写経といっても、Twitterやネットなどで見かけた心に残った文章を、月に一回「ほぼ日手帳」に書き出しているだけなんだけれど。

 

この写経のソース(?)は、こちらのツイートになります。 

 

“いらいらしたとき”も、別ツイートになりますが、この娘さんの文を書き写したものです。

 

去年1年間、「よかったさがし」を心がけてきたつもりだけれど、まだ身についていない感じ。

ということで、また写経をすることで、心持ちを整えていこうと思っています。

 

よくよく考えたら、こういうのって「書き初め」に通じるものがあるよね。

治療の流れを見失わないために

大切な二つの質問

「将来、どんな生活をしているようになりたいですか?」

「(ずっと治療を続けていますが)今、困っていることは何ですか?」

診療のレベルを上げるには、この二つの質問を上手く使い分けることを意識したい。
治療の内容を考えたり、治療を進めていく方向性を考える時に、どうしても押さえておきたいポイントになるはずだから。

 

「過去」 「今、ここ」 「将来」

初診の診察でも。
長期間入院している患者さんとの定期的な診察でも。
この二つの質問は、同じように大切。

 

患者さんにとって、
治療を受けるまでの時間は、「過去」の経験。
診察の場面で交わされるやりとりは、「今、ここ」での話。
そして、診察室から出た瞬間から「将来」が始まる。

寂しくはなったけれど、それでも楽しめるのがボッチ

ボッチ特性が高いアカウントがこちら

基本的に、ボッチ特性が高い。
大勢が楽しくしている遊び場に憧れて、足を運ぶところまではする。じゃあ、そこで「おいらも、仲間に入れて」と声をかけることはできない。
なるべく邪魔にならないように片隅で一人遊びをしたり、みんなの遊びを眺めていたりしている。
昔から、そんな子供だったはず。


大人になっても、「○○って、楽しんでいる?」と飲み会の席でよく聞かれたり、陰で心配されている(おそらく、嫌われるレベルではなかったらしい)。

 

みんなが楽しそうにしているのを、ただ見ている。
楽しい雰囲気が感じとれる空間の、ギリギリ端の方にたたずんで、楽しさのお裾分けを勝手に美味しくいただいている。

 

「うん、おいらは楽しんでいるから、大丈夫だよ」

 

三つ子の魂は……

大人というよりも、老害に近い年齢になっても、そういった生き方は変わらないんだなぁ。

そんなことを思ったり。

 

 

 

 

スッキリするのではなく、気持ちよくさせるんだよね

愚痴を言う

やり方が下手くそな愚痴というのは、心のわだかまりの吐き出しではなくて、誰かのdisりになってしまう。それが過度になると、誰かへの攻撃にしかならない。誰かへ攻撃したということは、当然反撃を受けてもしかたがない。
時々、「愚痴っていただけなのに、なぜか攻撃された」と愚痴っちゃう人がいるけれど。

 

上手な愚痴

上手な愚痴を吐き出すには、上手な聞き手が必要になる。聞き手が目の前にいる状況というのがベスト。
でも、そういった相手は、そうそういない。


だから、しかたがない。自分の頭の中で上手な愚痴の聞き手を想定するしかない。そんな時もある。
こういう時、愚痴の聞き手は「自分の心を気持ちよくしてくれる」人であると設定する。これがコツの一つ。

 

心を気持ちよくしてくれる≠気持ちがスッキリする

自分の心が気持ちよくなることは、必ずしも、心がスッキリすることではない。

特に、下手に愚痴を吐き出していると、心はスッキリするんだけれど、心が気持ちよくなっていなくて、わだかまりが残っている。満足した感じがしない。だから、また愚痴を吐き出さないと気が治らない。そんなことが少なからずある。

 

心の気持ちよさを知る

自分の心が気持ちよくなった状態。

心を気持ちよくさせてくれたモノ。

意識的に、そういった状態やモノを把握しておくことが大切。
そうじゃないと、心を気持ちよくさせようと思った時に困ってしまう。そして、単にスッキリさせるだけの行為や状態を目指そうとしてしまう。

 

心に素直であることって、難しいんだよね。