不安な人間は饒舌になる

今日も、良くも悪くもというか、はっきり言ってしまえば、悪い意味で「喋りすぎ」てしまった。

ダメだなぁ……

 

例え、それが「正しい情報」だとしても

目の前の相手に、多くの情報を短時間で与える。そうすると、例え、それが「正しい情報」だとしても、「正しく」理解されにくくなる。

そう、わかっているのに、喋ってしまう。

不安だからだ。

「正しく伝わっていないのではないか?」という不安。

おいらは、その不安に耐えられないんだ、きっと。

 

「正しく」理解してもらいたいのは、自分自身の「気持ち」や「考え方」

「気持ち」や「考え方」を伝えたい時。必要なものは、内容の正しさではなくて、話す相手からの「信頼」なんだよね。

 

「信頼」は、自分と相手の相互関係の中で生まれる。

 

「今、ここで」、伝えたいと思っている相手との間に、どれだけの「信頼」が生成されているのか。その見立てが大切。

 

誰かを説得したいなら、話の「正しさ」を高める以上に、互いの間にある信頼をきちんと「見立てる」方が大切じゃないか?

 

最近、そういうことを意識する場面が多くなってきた。

 

現病歴という名のストーリー

精神科の現病歴。

 

「その患者さんの症状経過という“ストーリー“を意識してください。」

そんな指導をしたことがある。

 

多分、断片的な事実の羅列の記載になっていて、患者さんの変化が、突然なのか、徐々に起こったものか、読んでいて把握できなかったから。

 

“ストーリーを意識する“と、ダメなこともある。診断から逆算したストーリーを想定して、それに合わせた聴取をするようになるリスクが高くなるから。

逆算では無く、個々のエピソードを膨らませる方向で聴くことが肝心。膨くらんだエピソードを並べてみて、見直すと、自然とストーリーが浮かび上がってくる(はず)。

 

エピソードを膨らませるには、症候学的な知識が役に立つ。各々の疾患に対する知識も必要だけど。

 

大月三郎著 精神医学 第4版。この教科書の第3章は「精神症候学」になっている。精神科医になっての数年間は、何度も何度も読み直した。

この教科書は、未だに手離せない。

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症状を知り、病気を探る 病理医ヤンデル先生が「わかりやすく」語る
 

 

精神医学

精神医学

 

 

 

Twitterは、一般的なインフラになっちゃっているからと言えば、それまでだが。

救急車が近づいてきた時に道を開けるように、災害時にTwitter上で正確で有益な情報が広まるように気をつける。 本質的には同じようなものなんだろうけれど、後者のほうが遥かに高いレベルのスキルや思考が要求されるんだろうなぁ。

救急車両を妨害するような行動をとる人間は問題外として、その人間を止めようとして、結果的に妨害に加担しちゃう場合もあるだろうし。好き勝手言っている遠巻きの人間に対してまで、アクションを起こすことの意味とか。

「みんながするべき」行動を考えすぎたり、強く主張したりしても、大衆には上手に届きにくいわけで。

日常の些細な行動の積み重ねを、評価できる人に理解してもらって、「わかっている」人を増やすというのが、遠回りだけれど有効なやりかたなのかしらん。

 

オーダーメイドの……

オーダーメイドの……

「オーダーメイドのスーツ」は洗練されていて、スーツとしての良さがある。ただ、着る側にも色々と求められるのがある。


tailor / rabanito

同じように、「オーダーメイドの精神療法」は、素晴らしくて有効なものであろうけれど、受ける側にも求められるものがあるはずで……

オーダーメイドのようにあるべきだと言うけれど……

「オーダーメイドのスーツ」を作るノウハウを、大量生産する「吊るしの背広」の製造過程に活かすことは大切。
でも、「吊るしの背広」しか提供できない状況で対応する店に、「オーダメイドのスーツ」と同じ手順を踏むべきだと言うのは、正しいけれど、どこか間違っているんじゃないかしらん。

あくまでも、老害になりかけの精神科医の与太話。

操作的診断基準って、「オーダメイドのスーツ」を仕立てるシステムではなくて、「吊るしの背広」の規格を決めているんだよね。「吊るし」での不満を拾い集めて、オーダメイドが作れるテイラーに吟味してもらって、次の規格に活かすことができれば理想的

モヤモヤした感情の扱いかた

 感情をそのままにしない

自分は、「(屁)理屈っぽい」人間なので、モヤモヤした曖昧な感情をそのままにしておくと、妙なストレスが蓄積する。だから、言語化せざるを得ない。

ただ、感情を言語化するときに、注意する点が一つ。言語化したものを、そのままにしておくと、負の感情の再確認・強化をしてしまうんだよね。

自分の感情をケアする

言語化した負の感情は、無理矢理でも、屁理屈でも、どんな形にでもプラスの方向に取り扱って処理する。これが大切。
頭の中だけで考えたりしないで、話したり、書き出したりして、何かの形にして、感情を処理しやすいようにする。

例えば愚痴ってみたり

負の感情について、口にして話す。「愚痴をいう」ことも、このやり方の一つ。
一旦頭の中から出してしまうという点は良い。ただ、話し言葉は空中に消えてしまったり、聞き手が下手な取り扱いすると逆効果だったりするから、注意が必要。

「書き出してみました」

自分がお勧めする負の感情の処理は、「文字に書きだす」やり方。書くのが面倒というのは、思考に適度な負荷がかかって効果的。文字として具現化されたものは、じっくりと処理しやすい。もちろん、適切な処理のやりかたを訓練する必要はあるんだけれど。

自分の考える、一番簡単な負の感情の処理。
メモ用紙にでも、自分の感じている嫌な気持ちをダーッと思いつくまま書き出して、「もう、これでおしまい!」と自分自身に宣言することかなぁ。これで処理しきれない感情が溜まっていくのなら、処理する練習をちゃんとしたほうがいいのかも。


scrawl / jennypdx

冥府魔道へ……

自分の感情を言語化していく作業をしていくと、たまに、自分自身の心の奥底へと突き進んでいく作業を始める人もいたりする。「冥府魔道を突き進んで行く」ことになるんだけれど……
まぁ、そうなる人は、元からそういう人なんだと思っているので、仕方ないことだと思っている :-p

 

 似たようなことを書いている過去記事

psykoma.hatenadiary.jp

 

 

できれば手短に、そして、約束をかわしてください

 リンク先は、精神科医である、いちは先生のブログ。たしか、こちらの先生は、総合病院勤務であったはず。

とりあえず俺と踊ろう: 精神科での面会について

精神科に入院した患者さんの面会について。
家族から、「面会はどうしたらいいんでしょうか」と聞かれることも少なからず。
医療者によって、それぞれのスタンスでの対応があって面白い。

まずは、前提条件として

 自分の場合、(地方弱小)民間単科精神病院での話になる。治療する場も変われば、治療の内容や細々としたことも変わる。これ、わりと大事なポイント。

精神科に入院(医療保護入院)した患者さんの面会について、自分の場合

安静休養を第一とする治療的な意味を考えると、家族の面会を積極的には勧めない。ただ、閉鎖病棟とか隔離対応といった閉鎖的治療環境に対する不安を家族が感じている場合も少なからずあるので、初手から面会禁止にはしない

面会禁止にはしないが、特に入院後間もないタイミングでの面会では、時間は5分とか10分くらいの短めに区切る。家族は患者さんの状況を、患者は家族から見捨てられてないことを確認できる。それができれば、十分。

面会する時の家族へのお願い。

「次の面会が何時頃になるか、本人に伝えて欲しい。できれば、約束して欲しい
「次の面会が明日じゃなくてもいい。面会することも大変なことだから、1週間後でもいい。ただ、本人との約束があれば、医療側も本人に待てるように説明することができる」
こういった「約束」のお願いは必ずする。

閉鎖的環境にいる患者さんが感じやすい「自分が見捨てられた」という不安を減らすこと。
その不安に対して、医療側が上手に対応しやすくすること。
この二つが、約束をお願いする目的。


Promises / ditatompel

「家族の面会」のコントロールも治療

「家族の面会」も、治療介入するための大事なポイントの一つ。

医師側だけでなく、コメディカルとの連携も必要。治療の中で「面会」をどう位置づけて、どう利用するか。わりと、治療者側の個性が出るところじゃないかしらん。

治療という観点からはズレるけれど……

最近は、「精神科の病棟って、思ったよりも普通なんですね」とか、「予想通りです」とか、話してくれる家族も増えてきた印象がある。ただ、「まさか、こんな環境だとは思わなかった」と口にする人も一定数いる。

だから、最初の段階で、いや、最初の段階だからこそ、治療環境を確認してもらうのって大切なんだよね。

ちょっとくらい、あきらめてもいい

 

psykoma.hatenadiary.jp

 この話の続きみたいな話……

ちょっとあきらめる

「自分の身の周りには、良いことなんてない」と思う人って、「良いこと」に対する期待値が高すぎるんじゃないかと。「自分の理想とするレベル」を少しあきらめて、「これくらいのレベル」で満足する練習が必要。

他人に対して「ちょっとあきらめる」ことって、身につけておくと、わりと便利。診療の場面でも、どうしても本人や家族に「ちょっとあきらめて」もらわないと、話が前に進まない場面も少なからず経験するわけで。全部あきらめて絶望しろという話ではないんだけど。

 「あきらめる」がレベルアップすると

「ちょっとあきらめる」がレベルアップすると、「ちょっと赦してあげる」になる。

でも、「赦す」というのは、かなり難しい。「甘やかす」でもないし、「何でもかんでも、受け入れる」でもないし……

自分のことを全て知っていてくれている第三者であるからこそ、「神様の赦し」は心に響く。
でも、なかなか神様に会うことはできない。
だから、その行動を知っていてメタ視点で見ることができる自分自身が、第三者の立場で「赦せる」かどうか考える。こんなスキルが必要なんだろうけどね。

映画「死にゆく者への祈り」


A Prayer for the Dying Official Trailer #1 - Bob Hoskins Movie (1987) HD

「赦し」のことを考えると、いつも思い浮かべるのが「死にゆく者への祈り」という映画。
過去の失敗の罪に悩まされる元IRAのテロリストという主人公をミッキー・ロークが演じている。「マスター・キートン」のハードボイルド風エピソードが好きな人には、お勧めの作品。

動画の予告編の最後にもチラッと出てくるクライマックスシーン。この時の主人公(ミッキー・ローク)の姿が、「赦し」を考えるときに脳内再生されるんですよね。