おいらの誤診

最近、とある事情があって、自分の仕事を見直している。

思った以上に、当初「うつ病」と診断していたが、後に「双極性感情障害」と診断しなおしたケースが数例あった…… 現在も自分がフォローしているケースで、それだから、何らかの形で診なくなった人で、別の医師によって診断が変わった人も多いんだろうなぁ…… 
やっぱり、このあたりの診断は難しい……


「大うつ病」であると診断した全ての患者が、5年後も診断が変わらなかった医師のみが、「双極性障害を見逃した」と他の医師に石を投げなさい
なんてフレーズが、ふと頭の中に浮かんでくる。
(要するに、自己弁護だww)

 

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暗黒面に堕ちそうな言霊

とあるブログ(?)記事を読んで、モヤモヤした気持ちになった

誰のどの記事かは、ご想像にお任せ

ものすごく、医療に対する要求が高いのかなぁということだけは感じた。

患者さんや家族とお話をしていても、「勝手に期待して、勝手に裏切られる」思考パターンの人は少なからずいる。自分の場合、「医療に魔法を求める人」というカテゴリーに分類している。

この思考パターンが、「勝手に事実だと信じて、勝手に間違っていると非難する」というレベルまでグレードアップしちゃっている人もいる。しかも、前半部分は自己完結しているから、いきなり後半の「非難する」部分をこちらにぶつけてきたりする。だから、話をしていても、お互いの接点を見つけて妥協して解決方法を探していくという作業がものすごく難しくなる。

こんな風に考えられるのは「自分の中の正しさ」に心の拠り所を置きすぎているんだろうなぁと、勝手に思っている :-p

 

前から、「いいんだよ」というフレーズは気になっていた

これ書いちゃうと、かなりのヒントになるんだけれど……「いいんだよ」に引っかかって、気にはとめている人だった。

「いいんだよ」

このフレーズが使い方や相手に与える効果について、色々と考えたのは、かなり以前のこと。

「いいんだよ」と発するだけで、相手との遣り取りをする上で、ものすごく強力な武器になるのは理解できた。そこから、効果的な使い方まで考えたりもした。

でも、それ故に、安易に使ってしまうと、自分が暗黒面に堕ちてしまう。そんな呪われた武器のように思えて、未だに使っていない。やれやれ。 

https://www.instagram.com/p/BFiAtO5LcSD/

「いいんだよ」 について、考えていた時のメモ。マインドマップ形式で、殴り書きしている。

Twitterの懐の深さ

Twitterの固定ツイート

 2014年11月26日にツイートしたわけだから、もうそろそろ書きなおそう、書きなおそうと思いながらも、未だに変えていない固定ツイート。

このツイートの意味するものの一つは、

「こと医療に関しては、自分の属する「狭い業界」内の話をツイートしているんだよ。内輪のものすごく狭い話。だから、外部から見ても分からなかったり、おかしく見えたりするかもよ」

 っていうこと。 

”そんな内輪のものをオープンにするんじゃないよ”という意見もあるだろう。
でも、そういうのも許されるし、フォローするかどうかを自分の判断で決めることができるし、それに触発されてオープンに意見を主張することもできる。

Twitterには、そういう懐の深さが、まだ残されているとは思っているんだけどね。

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プロならば考える

素人の選択 プロの選択

「素人なら受け入れられても、プロであるのならば許されない」。そんな言葉の選択ってあるわけで。

何かの場面に遭遇した時に、パッと湧き出てくる感情のままに行動に出るか、数瞬でも感情を受け止めることで行動をコントロールできるか。
そこで、プロと素人の違いが出てくる。

目の前の人が死ぬと言っている……

例えば、いわゆる「大うつ病」の患者さんが、希死念慮の存在をうかがわせる発言をした時。

そう考えるのは、間違っているよ。考えなおして」と声をかけてしまう人は少なくない。もちろん、その言葉は間違ってない。でも、素人の選択。

「間違っているよ」という言葉は、強い否定なんだよね。心が弱っている状態に、「強い否定」の言葉は劇薬だ。かなり慎重に使わなければいけない。まぁ、劇薬を使って、一気に勝負を決めたがるのも素人の所業であるかもしれないけれど。

 
Stop! / thematthewknot

希死念慮を前に、「間違っている。止めなければ」といった感情が湧き出てくるのは、当然。だからこそ、それを受け止めて、そのために何をしなければいけないのかを、数瞬でも考える。プロならば、その作業が求められる。更に、数瞬の思考かもしれないけれど、その思考をなるべく深いものにする。そういった姿勢も、プロには求められているかもね。

 

うん、難しいなぁ。やれやれ。

 

https://www.instagram.com/p/BFQPibercYB/

Instagram

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老害な精神科医を目指して……

ブログが中断してる……

Twitterの固定ツイートがこちら。

そろそろ内容を変更しようかしらん。でも、よくよく考えてみたら、自分はこの方向で、もっともっと進んでいくしかないんじゃないか。
妙に格好良くしようなんて、余計なことを考えちゃうから、ブログが書けなくなっている。

そんなことを考えてみたり。

自分の進んでいる方向とやるべきこと

自分が目指さないといけないのは、妙に屁理屈が強化された、質の悪い老害精神科医なんだよなぁ。既に、その方向に大分進んでいるわけなんだけど。

そのために必要なのは、この二つ。
密度をもっともっと高めた、ノートへの書き出し作業
酔った勢いで若手に絡む、ある種のゆるさ(こちらも、ノートへの書き出しで鍛えられるんだけどね :-p)

こんな精神科医はいるのか?

勝手な想像だけれど、こんな精神科医って、どんどん少なくなっているはず。少なくとも、真面目にアカデミック(?)なことを目指しているところからは駆逐されているはず。

まぁ、地方の弱小民間精神病院だからこそ、こんな精神科医でも存在できているんだろうなぁとは思う。

 まぁ、「このへんな精神科医は まだ精神病院にいるのです。 たぶん。」というレベルまで頑張るよ。

https://www.instagram.com/p/BE3g0niLcfY/

思いついたフレーズを使いたいばかりに、勢いで作ってしまった雑コラ

「思う」だけでは足りない……

 

芸能界で不祥事を起こした人に対する、業界の人のコメント。
やっぱり、「僕は知っている。○○は素敵な人なんだ」的なアピールが目立つ。「○○は好きだから、xxという話をしてあげて、△△することに手助けをしてあげたい」という類の発言をする人は、当たり前だが、ほとんど見かけてない。

「あなたのことが好きです」としか言えない告白は、説得力がなくて失敗しやすい。
「あなたが好きだから、こういった楽しい時間が共有できて、こういった満足感を与えることができるはずです」という内容を想定させたり、実行できる人間の「好きです」という告白には、説得力がある。

治療の場面でも、キーパーソンになるのは、「思っている」人ではなくて、「行動できる」人である方がいいんだよね。もしくは、「思っている」人に、現実を説明して、できる行動を少しずつ増やすように指導して、「行動できる」人にしていう作業が必要になるわけで。
これも、難しいけどね。

「ゆるいつながり」について

Twitter開始当初は、「ゆるいつながり」というフレーズが使われていた。
最近「ゆるいつながり」を見かけることは、めっきり少なくなった。「ここは地獄のツイッタランド」というフレーズがしっくりくるような世界であったりする。でも、「ゆるいつながり」が消えたわけではない。

「ゆるいつながり」というのは、その語感とは逆に、「ゆるくあるため」に大きな努力を必要とする。しかも、この努力を担うのは、つながりの中の一部の人で、しかも縁の下の力持ちのような存在であることが多い。

「ゆるいつながり」を支える人は、縁の下の力持ちであると同時に、白鳥でもある。一見優雅に水面を泳いでるようで、見えないところでは一生懸命水をかいているアレのこと。

「ゆるいつながり」を維持できる人になるのは、なかなか難しい。
じゃあ、自分のような、ゆるいつながりの中にいる「その他大勢の一人」は、何ができるんだろうか。それは、多分「ゆるくあること」と「頑張っている人への、ちょっとした応援」じゃないかと思っている。

「ゆるくある」、「ちょっとした応援」。これ自体は、簡単。

でも、「地獄のツイッタランド」という環境の中では、色々な誘惑があるから、そう簡単なことではなかったりする。
だから、ちょっとだけ、この二つを意識したらいいんじゃないかしらん。


Old Wives Chatter / Xavez

「ゆるいつながり」って、楽しいじゃん。