肯定もせず、否定もせず
妄想への対応
統合失調症を始めとした妄想に基づいた訴えに、どういった対応をするのか。
自分の場合。
「あなたは、○○については、××に違いないという話をしているわけだね。それについては、医者である自分からみると、△△といった解釈もできる。こういったのは、病気の症状としてはよくあることで……」
というのが一つのやり方。
「肯定もせず、否定もせず」という妄想に対する基本的な対応の一つの型のつもり。
よろしくない対応
「あなたは、××だって言っているけれど、それは間違いだ。だから、あなたは病気なんだ」
こんなアプローチをしたら、これは治療にはならない。大きく常識から外れた考え方に対して、それを話す人自身を批判していくやり方は、やはり好きになれない。
人格批判、カッコ悪い。
自分がそう思っているから、なんだろうけれど。
相手の物語を受け入れることから、全ては始まる
まずは、相手の主張を一旦受け入れる。そして、その主張の元になる物語を確認する。その内容を吟味した上で、自分なりの注釈を付ける。
そして、自分が確認した物語を、相手ともう一度確認する。その時に自分の注釈も相手に提示して、相手がどう思うか確認をしていく。
妄想を語る患者さんの対応をする時に、こんなイメージをもって臨めばいいかも。
Editing and proofreading / the Italian voice
註をつける
要するに、「妄想に対して、肯定もせず、否定もしない」というのは、妄想を含めた相手の中の物語を認めて、物語を検証して註をつけること。そして、註釈を加えられた物語を共に考えていくことじゃないかしらん。
このツイートに刺激を受けました
年表を作るにしても、その基礎段階では史料を見る必要があって、その段階では「当時の人がそのように信じていた」という年表的には誤りである話が当たり前に沢山あるし、科学なんかでもそれは同じだと思うんだ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2015, 1月 5
じゃあそういう記録を残した当時の人が歴史的に「悪い」のか、いうたらそういうわけでもなく。ただそれをまとめる段階で註がつく。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2015, 1月 5
『三國志』の裴注でも、~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~という話だが、これは誤りである、とするからイケる。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2015, 1月 5