「上から教える」 「下から教わる」

ヤンデル先生の「上から教える」について

「師」と仰ぐ

自分の知らないこと、できないことを身につける時。
これぞと思う人物を「師」と仰いで、必然的に自分は「下から」アプローチしていくという「師弟関係」が一番効率的。

むしろ「師」に対して、どのように「下から」アプローチするか。それを考えることがこそが、学びの第一歩かもしれない。ここで「師」を選ぶセンスや「師」に対する理解が必要になる。学ぶには、人をみる能力も問われる

できる「師」とは

こういった学びの積み重ねで高いレベルに達した人は「上から」教える方法も洗練されている印象。洗練というのは、優しいという意味だけではなくて、厳しくても効率的という意味で運用される場合もある。

近頃は、「徒弟制度」といったものを古臭い、非効率的なもの考える風潮があるけれど、一つのものを学んだり、身につけたりするには、再評価してもいいんじゃないかしらん。

勝手に弟子入りする

自分の場合、「勝手に弟子入り」をする。「脳内弟子入り」といってもいいかもしれない。

「これぞ」と思った相手を「自分の師匠」と認定する。相手に「弟子にしてください」なんて言わなくてもいい。勝手に、自分が弟子になるだけ。時々芸人などで話を聞く、押しかけ弟子より、ある意味「質(たち)が悪い」。

ただ、一度弟子になったら、その人の考え方のみならず、その人が好きだといったもの、好んでいるものを追いかけてみる。時には、「理由が分からなくても、真似てみる」こともしてみる。そうやっていくうちに、自分が変わる。変わったということは、何か学んだということじゃないかと。

そんな風に、勝手に思っている

もうおわかりだと思うが、今の自分の師匠の一人は「ヤンデル先生」なんだよね。だから、こうやってブログに「ヤンデル先生」というカテゴリーまで作って、師匠を一生懸命追いかけている。

ほら、質が悪いでしょう。

 

 参考文献 

赤めだか

赤めだか

 

 立川談志という師匠を追いかけた立川談春によるエッセイ。この本大好きです。