「ダメなところ」は武器にもなる

永遠の0」への批評をチラチラと読んでみた

その結果、「永遠の0」って、作者と作品の関係という点で、構造的に「風立ちぬ」と似ているんだという仮説に思い至る。
しかし、何分にも「永遠の0」は、原作、映画、漫画、ドラマなどあるが、どれも見たり読んだりしていないので、自身の仮説を検証することもできず…… 

光あるところに影がある

人間の心の中の「光」の部分を、キレイに見せることだけに腐心して物語を作り上げていくと、ホワイトバランスが崩れた写真のように、薄っぺらくて、色彩のメリハリもなく、薄っぺらい作品になりがち。「光」と同時に存在する「影」の部分も見せていくことで、作品に深みが生まれる

ところが、エンタメを意識しちゃうと、「影」の部分を見せると重苦しくなるので、なるべく見せないようにしがち。その方向性は間違っている。「影」の部分を、一見「影」と分からないような形に演出してきちんと提示するのが正解。というか、それこそが、作る側の人間の腕の見せどころ。

作品の中の主人公に、作者自身を投影する作品は色々とある。「風立ちぬ」なんて、主人公は堀越二郎の皮を被った宮崎駿だからね。万人に受けるようなストーリーにするために、主人公を美化しようとしている。それでも、そんなことでは隠し切れない「宮崎駿のエゴ」という名の「影」が画面から溢れ出てくる。まぁ、自分はそんなところに惹きつけられてしかたなくて、だからこそ「風立ちぬ」は名作。

かたや「永遠の0」。主人公の「光」については、色々と論評されているが、「影」の部分はどうなっているものやら……

 


Lights& Shadows / Jacopo Marcovaldi

作家性とは、自分自身を曝け出して世間に評価を問うこと

世間一般に対して勝負していこうと思うのなら、自分のかっこいいところを武器に勝負するのは大切。でも、もっと優れた武器は「自分自身のダメなところ」であったりする。そのままでは使い物にならないが、上手く武器として鍛え上げた時の威力は絶大なものになる。

ところで、その人自身の気持ちがどうであれ、Twitterを始めとするSNSやブログなんかで発信するということは、世間一般に対して勝負をしかけていることなんだよね。

だから、勝負の仕方というものに、少しは自覚的であるべきじゃないかしらん。せっかく、発信するといった「面白い」ことをやっているわけだし。

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