読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「正しい」ことだけを言えたら楽なのにね

ちょっと気になったブログ

blog.livedoor.jp

昨日、自分のTL上で話題に取り上げられることが多かったブログ。簡単にまとめることもできないので、未読の人は一度読んでみて欲しい。わりと「正しい」内容で、よく考えられている

もし、自分がこの相談相手だったら……

ブログ記事で取り上げられている投稿を書いた、息子の行動に悩むの母親の相談に対応する立場であったらどうなのか目の前の母親に向かって、どんなことを語るのか。
これは、簡単な話ではない。

「正しく」考えるのは必要なんだけれど、「正しさの運用」についても考えないと……

「正しさの運用」

忘れちゃいけないのは、まだ高校生の息子を支えるのも、家族であるという点
「正しい理論」で叩きすぎて、親も周囲の人間も「私はダメな母親(父親)だから何もできません」と認識し過ぎちゃったら、この家庭全体はどうなっちゃうのか。

もう少し自分の立場に寄せて考えてみた

自分の場合も、似たような状況に立ち会うことがある。内因性精神病を発症した本人と家族が受診してきた場合。疾患に対する理解ができなかったり、予想外の状況に十分な対応をとることができていない場合は少なくない。

医療者であっても十分に対応ができないことがあるのに、ましてや、一般の人間は、内因性精神疾患の知識や理解があることを求めるのは酷というもの。

そういった状況で、「あなた達の無知と無関心から、ひどい対応をしてきていますね。患者さんは、それで苦しめられてきたんです」なんて、よっぽどでなければ言えない。
自分たちに求められているのは、患者さんのことを考えて、なんとか上手な方法に話をつなげていく力量である

そして、
知識もなかったし、簡単には理解できない事態に遭遇してしまった、その時の驚きを拾い上げることができるか。
その驚きに対して、共感を見つけ出すことができるか。
その共感をうまく伝えることができるか。
こういった一連の行為ができるかどうかである。

わかっていても、なかなかできない

「傾聴と受容と共感」が大切。というのは、誰もが何処かで聞いたことがある。

知っていることと、行動できることは別。こういった状況にぶち当たった時に、どれだけ実行できるか。ここなんだよね。
この投稿記事のように、正しく叩くことができるポイントが分かりやすい事例だと、それを忘れてしまって、「正しい理論」で叩いてしまったりすることは、少なからずあるわけで。

ということで、自分ならどうするかという話を

自分自身に対する模範解答が、こちら

相談を受けた場合。最初に子供の行為を目撃した時の驚きと行動に対する共感のポイントを見つける。そこから、母親とともに目標に向かって考えていく協力者であると認識してもらうよう努力する。目標とは、息子が上手く社会生活ができること。

 あくまでも、模範解答。だから、現実場面でも、その通りに行動できる自信は、あまりありません。あと、詳しい状況がわからないので、細かな対応については、意図的に言及していません。