相手のために行動しないという勇気

Twitter上で、アカウント同士のやりとりをみていると、やはり「共感」って難しいものだと思うことが多い……

「共に感じている」わけだから、アピールしなくてもいいはず

「今、あなたが感じている気持ち。少し引き受けてみたけれど、十分に理解できなくて、何と言っていいのかわかりません」と何も言えないでいる状態は、十分「共感」になっている。
引き受けてもないのに、表面的な解釈で「自分も似たような経験したから、わかります」というアピールは共感とは違う。

「私が、その時のあなただったら○○しています」ではなくて、「私が、その時のあなたの側にいたら、○○してあげたいと思う」と考えるほうが、「共感」に近づくことができるんじゃないかしらん。

「オウム返し」は、まず自分の感情を揺り動かす

辛さを語る人に対して、「それは、本当に辛いですよね」と答えることで共感できていると思っている人を、時々見かける。
でも、いわゆる「オウム返し」対応は、「あなたの話を聞いていますよ」という提示であって、「共感」の一部ではない。

辛さを語る人に、「それは、ほんとうに辛いですよね」と答える。「辛いです」と口にしたことで、「自分の中の辛い」気持ちが自然と誘発される。この気持ちは、あくまでも自分自身の感情。目の前の相手の感情ではない。「辛い」という共通項はあるけれど異なるもの。
これに気がつかないと、いつまでも「共感」しているつもりで、「自分の気持ちや行動のアピール」を続けることになる。

 ほとんど何もしないことの勇気

ちょっと疲れたり、落ち込んだりしている人を見つけて、何かしてあげようと思うことは大切。
ただ、相手のためにできることって、実はそんなに多くあるわけではない。下手に何かしようとすれば、相手ではなく自分の心を満たすための行動にすり替わりがち。それが人間。 

相手のことを気にかけていることを、ちょっとだけ示してあげて、あえて何もしないでいる。これだけで十分なことも、少なくない。


Patience / FionaKwan

何もしないことは、自分を不安にさせる。

でも、必要最小限のことをした後、ほとんど何もしないで、自分自身の不安な気持ちに耐える。これに挑む勇気が大切なんだよね。共感って、難しいよね。

ちなみに

 こちらも、「共感」について書いた過去記事。冒頭のヤンデル先生のツイートを読むだけで十分。むしろ、そのための記事だ。

psykoma.hatenadiary.jp