十分な手当てをしたいけれど、人には腕は2本しかない

認知症にしろ、依存症にしろ、他の疾患にしろ。

従来のやり方とは違った新しいアプローチでの治療についた本を、時々読んでいる。

新しいアプローチといっても、そんなに目新しことを言っているようには、思えない。

基本的には「手をかけた治療」をしましょう、ということ。

それだけの話である。


「手をかけた治療」は、高い治療効果を期待できる。多分、それは間違いない。

ただし、その治療の運用は、とても難しくて、簡単にできることじゃないはず。

 

一個人が「手をかけた『正しい』治療」をする(しようとする)ことは、間違いじゃない。

でも、「より正しい」治療をしようと思うと、個人ではなくて、チームで行わざるを得なくなる。それは、「手をかける」治療に、複数の人が関わることになる。そうなると、複数の人を運用するための、しっかりとしたシステムが必要。なかなか簡単にできることじゃない。


「手をかけた治療」が可能なシステムができなければ、次善の「正しい」治療で対応することになる。

ところが、そこに「最善でないことを良しとしない」力が働くと、治療そのものが成立し難くなる。ただ、この力は間違いじゃないだけに、話がややこしくなる。


過去の治療。当時のレベルでそれなりに正しかった治療を、「今、最適ではない治療だから」という理由で叩きすぎると、逆に治療を受けられなくなるリスクというものがあるんじゃないかなぁ。


場末の民間精神病院で働いていると、ついついそんなことを考える。

やれやれ。